ロストフ・ナ・ドヌー

Rostov-na-Donu (Ростов-на-Дону). 地図 VI-20. ドン川沿いの都市(2018年人口1,130,305人)、ロシア連邦のロストフ州の行政中心地。 河川港や空港を擁する産業・交通の要衝である。

市の起源は、1761年に建設された新しい要塞の周辺の集落で、Dymytrii Tuptalo (Rostovsky) にちなんで命名された。 1797年に新ロシア州の郡庁所在地となり、その後カテリノスラフ州(1802-88年)の郡庁所在地となった。 1888年にドン・コサック県が設立されると、ロストフ・ナ・ドヌがその首都に選ばれた。 1834年に港と税関が建設され、1871年にモスクワ、1875年にウラジカフカズへの鉄道が開通し、町は主要な商業都市に発展した。 穀物や原材料を輸出し、タバコや加工品を輸入した。 20世紀初頭には、オデッサに次いでロシア帝国南部で2番目に大きな都市となった。 1809年に3,000人だった人口は、1860年には17,600人、1897年には119,500人に増加した。

1915年、ロシア当局によってガリシアから多くのロシア人がロストフ・ナ・ドヌーに疎開してきた。 そこでは1920年まで、ガリシア・ロシア委員会(委員長:Volodymyr Dudykevych)、彼らの子供のためのギムナジウム、大学ではワルシャワから移管された学生ホマダなどの独自の制度があった。 1918年から20年にかけて、ロストフ・ナ・ドヌはアントン・デニキンの義勇軍の拠点であった。 1926年のソ連国勢調査によると、59,200人のウクライナ人が市の人口の19.2%を占めていた。

1924年からロストフ・ナ・ドヌは北コーカサス地方の首都、1934-7年にはアゾフ-黒海地方の、そして最後にはロストフ州政府の首都であった。 現在、同市はロシアで最も大きな農業機械製造の中心地の1つとなっている。 また、大規模な食品加工業、軽工業、化学工業も盛んである。 また、3つの大学のほか、20の高等教育機関がある。 建築物としては、1780年代に建てられた教会と市庁舎(1896-9年)がある。

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